○宅内侵入
・久K市:1980年代に、S山の愛人であるO原が侵入し、母の結婚写真やアルバムを盗難、母の服、子供のナップザックの破損されていました。また、別の時に、宅内に糞尿をソファーにまき散らさており、破棄。S山は警察を呼びませんでした。
・U和市:明確に侵入されたかどうかはわからないのですが、S山が下請け業者が湯沢に別荘があるので、行くようにやたら勧誘してきたので、行ってみたのですが、妹が当日いかないと言い出し、行っていないことがS山が知ると、なぜ行かないのかと
激怒していたことがありました。また、電話で愛人が自宅に行くからトラブルになるから家から離れるように言ってくることがありましたが、待っていても誰も来ないということが何度かあったり、S山が突然やって来て、食事に行くことがあり、行かな
いというと激怒することがありました。
・足柄:嫌がらせに耐えかねて足柄に借りた借家で、実家に一時帰京した際、
深夜に自分の携帯に非通知の無言電話があり、出てみると、この借家内に設置していた時計のカチカチという音が聞こえたため、
都内に残っていた母と妹に確認に行ってもらうと、窓と雨戸が外されており、侵入されていた模様。
盗難されたものはなし。地元警察の対応は盗まれたものがないのであれば、被害届非受理で、パトカーを巡回させるとのことでした。
・実家:宅内に何者かが侵入。支払用に前日、銀行から降ろしてきていた現金と実印・銀行印が盗まれていました。以前から、サイフの札の数が違うなど、侵入を疑わせる痕跡が時々あったが、被害がはっきりとした形で出てきたのは初めてでした。警察を呼んだが、勘違いの可能性もあるので、鑑識課の警部の指示で5-6人が5-6時間かけて、家探しするもみつかりませんでした。翌々日朝、閉じていたはずドアが開いているなど再度不審な点がみつかる。1週間程して盗まれた現金の一部と印鑑が全く違う部屋から見つかる。しかも、当地域50km以内には存在せず、家人が一切行っていないファーストフード店のビニール袋に包まれていた。このファーストフード店は、母と妹が1年前に、他県に出かけていた時に1度だけ利用しているが、それ以外に利用はありません。
上記の1年後の同日の深夜2時ごろに、敷地内に野犬が侵入し、同時に、庭の水道が全開にされ、水浸しになっていた。また、翌年の同じ日付の日に、宅内に野犬が侵入し、直後に庭の水道が開かれ水浸しに。
暗視性能の限界もあり、犬は写っているものの人影なし。
作物を直売しているのですが、以前から、数回盗んでいった中年男がいます。この男は、当家の周りを、午前・午後と一度通行していました。一連の嫌がらせに関係しているか不明ですが、上記侵入に関与している可能性があります。警察の話では、以前からこの地域を徘徊しているコソ泥だそうですが、現行犯でないと捕まえられないとのことでした。
以前から、実家2階の雨戸が少しあいていたり、位置がずれていたりしていることが何回かあったのですが、2階窓の周りが登れる構造になっているため、侵入者がよじ登って部屋内を覗いていたものと思われます。
・久K市:1980年代に、S山の愛人であるO原が侵入し、母の結婚写真やアルバムを盗難、母の服、子供のナップザックの破損されていました。また、別の時に、宅内に糞尿をソファーにまき散らさており、破棄。S山は警察を呼びませんでした。
・U和市:明確に侵入されたかどうかはわからないのですが、S山が下請け業者が湯沢に別荘があるので、行くようにやたら勧誘してきたので、行ってみたのですが、妹が当日いかないと言い出し、行っていないことがS山が知ると、なぜ行かないのかと
激怒していたことがありました。また、電話で愛人が自宅に行くからトラブルになるから家から離れるように言ってくることがありましたが、待っていても誰も来ないということが何度かあったり、S山が突然やって来て、食事に行くことがあり、行かな
いというと激怒することがありました。
・足柄:嫌がらせに耐えかねて足柄に借りた借家で、実家に一時帰京した際、
深夜に自分の携帯に非通知の無言電話があり、出てみると、この借家内に設置していた時計のカチカチという音が聞こえたため、
都内に残っていた母と妹に確認に行ってもらうと、窓と雨戸が外されており、侵入されていた模様。
盗難されたものはなし。地元警察の対応は盗まれたものがないのであれば、被害届非受理で、パトカーを巡回させるとのことでした。
・実家:宅内に何者かが侵入。支払用に前日、銀行から降ろしてきていた現金と実印・銀行印が盗まれていました。以前から、サイフの札の数が違うなど、侵入を疑わせる痕跡が時々あったが、被害がはっきりとした形で出てきたのは初めてでした。警察を呼んだが、勘違いの可能性もあるので、鑑識課の警部の指示で5-6人が5-6時間かけて、家探しするもみつかりませんでした。翌々日朝、閉じていたはずドアが開いているなど再度不審な点がみつかる。1週間程して盗まれた現金の一部と印鑑が全く違う部屋から見つかる。しかも、当地域50km以内には存在せず、家人が一切行っていないファーストフード店のビニール袋に包まれていた。このファーストフード店は、母と妹が1年前に、他県に出かけていた時に1度だけ利用しているが、それ以外に利用はありません。
上記の1年後の同日の深夜2時ごろに、敷地内に野犬が侵入し、同時に、庭の水道が全開にされ、水浸しになっていた。また、翌年の同じ日付の日に、宅内に野犬が侵入し、直後に庭の水道が開かれ水浸しに。
暗視性能の限界もあり、犬は写っているものの人影なし。
作物を直売しているのですが、以前から、数回盗んでいった中年男がいます。この男は、当家の周りを、午前・午後と一度通行していました。一連の嫌がらせに関係しているか不明ですが、上記侵入に関与している可能性があります。警察の話では、以前からこの地域を徘徊しているコソ泥だそうですが、現行犯でないと捕まえられないとのことでした。
以前から、実家2階の雨戸が少しあいていたり、位置がずれていたりしていることが何回かあったのですが、2階窓の周りが登れる構造になっているため、侵入者がよじ登って部屋内を覗いていたものと思われます。
農産物の直売で2回、畑内で何度も盗んでいる男。
証拠動画もあります。
証拠動画もあります。
監視役の配置とそのストーカー行為: 集団ストーカーにおける個々の嫌がらせは、普通に生活していても、ままあるようなことの連続で、説明しても多くの方は気にしすぎではないかと思う程度のことがほとんどですが、普通ではないのは、それが徹底した情報収集下で長期間、執拗かつ多人数で行われることです。 自分達の場合には長期的に行うために、盗聴や尾行により入手したりするために連中が行っているのが、監視役を設置してきます。 通常は、自宅周辺に住む人間の中から、老人や主婦など、常時、在宅している人間がおり、彼らと何らかの接点(宗教・勤務先・商売・交友関係など)のある人間を勧誘して、仲間に引き込んでいるようです。 ターゲットである我々の出入りを確認できる場所が望ましいのは言うまでもありませんが、誰でも勧誘できるわけではないようで、おそらく彼らの犯罪ネットワーク内の協力者を通じて協力者を勧誘しているものと思われます。こういった事をすればものすごく金がかかるかのように思われるかもしれませんが、大半は無料奉仕と思われます。彼らは、交代で行為に関与しており、個々 の労力は知れており、ネットワークを通じて様々な便宜を得ているのものと思われます。彼らは互助会に近いですので、場合によっては、反社会集団に使われていることすら知らない場合も多いでしょう。単に、義憤や怒りを先導されて、行為に加担しているだけの例もありました。監視役は、1軒より2軒というように通常は囲い込むように主要な1~2軒とそれに協力する数軒の家が存在することが多く、長期間になるほど、徐々に協力者を勧誘・取り込みを行っていました。 ・U和市(当時)における監視役: S県U和市(当時)に引っ越したのは、S山の愛人O原文子(以下、O原)の親族が密集していたS県久K市から離れるためでしたが、生憎、選択したU和市からO宮市にかけてはS山の朝鮮人愛人徐とその仲間の朝鮮Bの巣窟でした。 迂闊としか言いようがありませんが、当時はインターネットは引いていましたが、現在ほど情報がなく、もともとの地域の住人でもなかったため、全く知り得ませんでした。 隣の借家の住人とはそこそこ仲良くしていたのですが、1年ほどして引っ越し行き、数か月して、転居してきたのが、 K原木という夫婦です。ただ、夫婦とは言っていますが、内縁関係で籍は入れていないとの事でした。 K原木は、後で考えると、当初から不審な行動をとっており、もともとは開き放していた敷地内への共同の入り口の門扉を閉めたい(開閉音で出入りがわかる)と言い出したたり、 母が実家の農業を手伝い長期間戻ったりしていたのですが、その予定をやたら聞きたがっていました。 さらに、もう1軒借りたいので、引っ越す場合は教えてほしいとも言われました。 また、駐車場を2台借りており、1台はK原木の車ですが。もう1台は、頻繁に車種が変わっていました。仕事の関係者の寝泊りを世話しているとの事でしたが、建築関係であったようです。 また、出かけに宅前を通ると、干している布団をバシバシと異常に叩き、布団がないときは、出てきたりしていました。 特に、最初の調停に出た日など重要な要件の時には、何か必死な感じで、誰かに合図を送っているようでもありました。 また、のちに判明したことですが、このK原木の借家、保証人が驚いたことに、以前、S山の隠れ家のマンションの開錠を依頼した鍵屋と同一の人物だったのです。この鍵屋は、金物屋の傍ら鍵屋をしており、同じU市内ではあるものの、距離も離れており、K原木の親族ではないということでした。K原木は、家賃の支払いが遅れることがあるらしく、大家が鍵屋に連絡したこともあるようでした。 推測の域を出ませんが、偶然とは思えませんでした。この鍵屋は、調停直前の時に、自宅玄関が開けられていたことがあったのですが、この時、K原木が相談にのってあげると言い出し、知り合いの鍵屋として紹介されました。この鍵屋は、以前のことについては言及してきませんでした。 この鍵屋は、その後、数年していくと、金物屋は存続していましたが、鍵屋の看板は外していました。現在は、店じまいしたようです。 2000年の調停時にK原木は本性を現してきました。母がゴミ捨てに出ていると、駐車場に出る階段に空き缶が一つ置いてあり、K原木がゴミを捨てていると言いがかりを付けてきました。また、以前、駐車場の当家車両前のアパートの1室の住人Wが、当方を監視しているのではないかという偽情報をK原木から警告があり、Wを気を付けていたのですが、一方で、K原木はWに当方が覗き見していると通告しており、Wが当方に直接文句言ってきたので、 K原木から聞いた話を聞くと驚いたようで、お互いK原木に踊らされていたことが判明し、和解しました。 K原木は、当方が引越ししてからも10年近く、借りていたようですが、実家での嫌がらせの回数が激減した2013年に、引き払っていました。現在は、新興宗教関係者が入居しているようです。 S山の隠れ家から少し離れた場所に借家を借りたためか、S山の仲間の巣窟だったものと思われますが、S山の建築関係の知人で湯沢の別荘を貸してた人物が住む家が数百メートル先に住んでいました。 ・S並での監視役:調停開始後、U市自宅がS山名義であった為、都内のS並あるアパートに急遽引っ越しました。 引っ越してしばらくは、あまり問題ではなかったのですが、実家に戻っている間に階下住人が変わったようで、寝ささないように、寝た瞬間や起床時に、下から床をつついてくるようになりました。 ・N馬での監視役: 調停後、1年ほどして借りたN馬HW台のマンション階下の住人でM上でした。M上は建築土木業で左官か何かと思われます。最初からではなく、途中から、ストーカー要員として、勧誘されたのではないかと思っています。 残念なことに自衛隊基地・少年鑑別所を有するこの地域も在日朝鮮関連で戦後いろいろ有ったようです。 引越ししてから数か月は何もなかったのですが、階下のM上が朝晩と扉が壊れるんじゃないかというようなとんでもない音で閉めるようになりました。階下なので、足音がうるさいのかと思い、床にじゅうたんを張る等しましたが、状況はよくなるどころか悪くなっていきました。 さらに、寝る時や、起床時を狙っている場所を下から叩いてくるようになりました。遮光カーテンで外部に光は漏れていないため、窓から見ているとは考えられませんが、かなり正確に位置や状況をしっているようでした。鉄筋で階下や隣の音はかなり大きい音を立てないと聞こえないことから、 コンクリートマイクを使用していた可能性が高いと思われました。その為か、ワザとではありませんが、ちょっと床にものが落ちたりすると、M上は異常に反応して(コンクリートマイクは壁等からの振動を音声に変換している為、近くで振動があると大音がします。)すぐに天井を叩き返して来たり、うめき声をあげていました。 また、盗聴内容を、M上の長男(当時小学生3-4年くらい)と同マンションと向かいのアパートの仲間を使って、ほのめかすようになりました。(向かいのアパートのその子供の自転車がパンクさせられていたことがあったのですが、当方のせいにしていました。彼らが行って、先導していた可能性があります。) ある日、私がソファーに座った途端に、いつものように階下のM上に真下からドンと突かれたのですが、不意を突かれて横にあった洗濯籠に躓き、「うわっ」というと、翌日から、M上の長男とその仲間の子供が、「うわあー」と階下と叫ぶようになりました。 また、U和の場合と同じく、夜中にしばしば部屋の真下に空ぶかしを行うバイクが来るようになり、クランクションを鳴らすなども行うようになりました。この車両は、特定の1-2台のみでした。M上の子供のいやがらせも続いていたため、試しに、このバイクが来た直後に「FUCK YOU」と屋外に特に走行中のバイクに聞こえるような声ではないのですが、部屋で言ってみたところ、翌日と翌々日、「FUCK YOU」と叫びながら、このバイクが通行していきました。 当初、家族には、ほのめかしを受けていることを信じてもらえませんでした。そこで、盗聴とほのめかしを受けていることはっきりさせる為に、M上が引っかかりそうな文言として、室内では、自分ことを「たけだ」、母を「主任」と呼ぶようにあえてしました。数日すると、M上の長男とその友人が部屋の下あたりで、「たけださーん、おはようございまーす」「主任ー」などと叫んできました。これにより、ようやく家族も盗聴とほのめかしがあると理解しました。 さらに体調を崩し寝込んでしまったことがあったのですが、咳と嘔吐が止まらなかったことがあったのですが、階下で、M上の子供やM上の仲間と思われる小学生・中学生が咳払いや吐く真似をするようになりました。実行者は、不特定多数ではなく、特定のクラブの仲間でした。これも、現在の嫌がらせのパターンと全く同じです。これも最初わからなかったのですが、このような形で、家族の話した内容、ネットで検索した内容などをほのめかしていました。 また、このマンションは、ちょうど、少し離れた公営団地から近隣中学の登校に学生がよく使う道路で、そこの生徒が上記のようなほのめかしを行うようになりました。「おにいちゃーん」、「うわあー」「たけだ」などです。たけだ以外は普通に有り得るだろうと考える方も多いと思いますが、彼らは、気づかせる為にやっているので、気のせいかもしれないなどというレベルでなく、階下で通過するたびに何十回と絶叫していること、実行している集団は、不特定ではなく、この時でいえば、M上の長男と同マンションに住む3名の友人男子小学生、近隣中学バレー部の女子数名、同マンションの中学生の男と他中学生男数名でした。また、これらはアンカリングとなるように執拗に繰り返されてきましたが、家族間の会話内容や、行った場所をほのめかすこともありました。 これら文言は、不思議なことに、この後に引っ越したH、小田原、関東平野外の実家と10KM以上離して引っ越しているにも拘らず、必ずほのめかしの文言に入っているのです。 M上とその一党は、これだけでなく、周囲の特に子供を使って、当家の悪評を広めていっていたようで、こうした行為に加担している学生や人物いがが、陰口をたたくなどし始めたため、引越しをしました。 他にも監視の例として、N馬での階下住人のM上の嫌がらせに耐えかねて、引越しすることにしましたが、引越し先を探しに毎日出かけていたのですが、ちょっと思い当たることがあったので、母と妹は徒歩で氷川駅側に先に出てもらって、自分は車で後から駅前で2人を回収するために後を追っていたのですが、信号で止まって、ふと見るとM上の妻が、よれよれのエプロン姿で急いで出てきたような感じで、母と妹の後ろをついてきており、こちらに気が付くと、ばつの悪い顔をして、あたふたと引き揚げていきました。 通常、引っ越し先は車で探しに行っていた為、徒歩で駅方向に向かった為、慌てて追いかけて来たものと思われます。 このM上は、嫌がらせに加担するようになってから、利益供与を受け始めたのか、ぼろぼろの服がましになり、旅行や外食に行くようになりました。 駐車場前の部屋にこのM上の協力者で監視役も兼ねていると思われる家Z(姓は漢字一文字です)があり、前を通るとき、窓をピシャッと閉めるという嫌がらせを通る度にしてきていました。M上もそうですが、M上と同じ素材で、窓から中が見えないように、窓の柵にすだれ状の目隠しをしていました。 ・都下HK市での監視役。 東京西部にあるHK市では、多数の家庭が嫌がらせに関与していました。これはHW台でも同様でしたが、よりはっきり行ってきました。 中心となっていたのはA見とF崎と江Zです。他にA見とF崎の子供の友人のいる2軒が関与していました。 監視はA見・江S・O久保が中心でやっており、F崎の男の子供が中心にほのめかしを行っていました。 ・A見:斜め横に家のA見。壁にK党のポスターが貼ってあるS学会員です。50代ぐらいの夫婦、その母親の70、夫婦の子の姉妹、姉は、風呂場でO塚愛の歌を毎晩絶唱する高校生、妹は男の格好している小学生でした。ここでの嫌がらせのまとめ役です。A見の男の方は、19:00から21:00くらいにかけて、祭りで行う横笛の練習をしていました。 祭りと言えば、大なり小なりヤクザがか関わっているものですが、この男とHW台のM上は土建系のDQNでタイプが似ていました。 この男自身は表だって何かしてきたことはありません。この点は、N馬でのM上も同様で、ここでも嫌がらせの主体は、母親がバックアップしながらこの姉妹が中心となって行ってきました。 加えてこの姉妹は巧妙で、妹の近所の女の友人2名(H崎他)とその弟(H崎)を先導していました。 A見は、壁面にK党の国会議員のポスターを年中はっていました。ある時、ポスターをじっと見ていたのですが、翌日にははがされていました。我々知られるとまずいことでもあったようです。2年ほどして、当方の引っ越す直前に張りなおしてありました。 また、当方が、A見宅の風呂場の窓(自宅の窓にある)を覗いているなどと言いがかりを付けて悪評を流していたようです。 ・O久保:当家間の老夫婦。当方が、家を出入のたびに窓を開けて出てくる老女。 この老女とA見の老女が仲が良いらしく、A見が我々が風呂場を除いているので、監視してほしいと頼まれ行っていたそうです。 ・M上:上記のF崎の隣で、当家から道に出ると真ん前の家がM上でした。N馬のM上と苗字は同じですが、関係性は不明です。O久保と同じくA見に頼まれていたのかは不明ですが、当方がM上宅前を通過するたびにM上宅の街灯を付けていました。 ・F崎:F崎家は、当方自宅のある区画から、道路に出た場所にありました。この家も、A見と似た構成で、 60代くらいの老女1名、30代保険業関係の夫婦2名がいました。家に前に来て、「おはようございます」「はやくおきろー」 テレビをみていて、「店長か」と一言部屋でつぶやクト、翌日、F崎の子供とその友人の男が、当家の庭に侵入してきて店長とさけぶ、ヤフオクで評価が入ると、翌日に「やっほー」と叫びながら通るなどほのめかし嫌がらせを行っていました。 また、宅前の森部分でよく変質者が出ていたらしいのですが、引っ越ししてきてしばらくして、嫌がらせとは関係がない家の女子中学生が痴漢に会いそうになり、「キャー」と叫んでいた為、見に行ったのですが、痴漢にあった場所の家の人と警察を呼びました。すると、しばらくして、H崎子供等が当家前で「キャー」と叫ぶようになりました。これは、以降、現在実家でも継続されており「キャー」と絶叫を上げて当家前を中高生が通行しています。A見が友人であるF崎の子供(姉)を通じて家で、F崎の子供(弟)がさらに、少し離れた家の子供2名を先導して嫌がらせをしていました。 ・江Z:当方が引っ越してくる前のA見の被害者、夫婦と幼児男2名、タクシー運転手。もともとは、当方宅に住んでいたが、A見の嫌がらせに耐えかねて、横の借家に移動していたそうです。江Zは当方が引っ越してきてからA見に協力するようになりました。当方が出入りするときや、隣接する台所に来ると、窓をパンと閉めるたり、部屋内のほのめかしをするようになりました。 協力に対する見返りでしょうか、しばらくすると、中古ですがステーションワゴンの最上位機種に乗り換え、タクシーの会社も転職し、生活にゆとりが出てきたようでした。 引っ越ししてから1か月くらいしてから、HW市の嫌がらせは、F崎の男子小学生が近所の仲間男2名とともに当方宅内ボールを投げ入れ度々侵入し、ほのめかしを行う。「うわー」「おはようございます」「はやく起きろ」「吐く真似」などをするようになりました。ほのめかしの内容は、N馬HW台のM上を中心とした集団から引き継いだとしか思えないものが混じっていました。 また、ヤフオクを使用すると、「ヤッホー」と叫ぶようになりました。 ある時、吉野家の特集をした日があったのですが、視聴中に部屋で小声で「店長かー」というと、翌日、H崎の男子小学生とその仲間が、A見宅脇から当家庭に侵入し、「店長」と叫びだしました。 他にも、無言電話が来たので、「もしもし」というと、後日、F崎の子供が「もしもし」と叫ぶ。 HW台でほのめかしで言わせるために使っていた「たけだ、主任、きし」を普通の言い方に戻したのですが、家族との会話で、「お母さんが~」と言った翌日から、H崎の子供が「おかーさーん」と叫ぶようになり、HK市の街中ですれ違うと「おかーさーん」「うわー」と叫ぶ等も行うようになりました。 また、江Zに加えてA見の女が、出勤時や帰宅時に、窓をパンと閉めるようになりました。 母が、HK市自宅から駅に向かっていると、つけられているような気がすると言うので、小型のビデオカメラを渡して、道中を撮りながら通行してみるように頼むと、今まで来ていた不審者がいなくなったそうです。 ・足柄での監視役 HK市でのトラブル後、臨時で借りたところです。ストーカーがついてくるのかを調べるためでもありました。 1か月もすると、隣が引越し、AR川と名乗る中年の男が引っ越してきました。この男は、家の出入りや隣接する宅内のトイレに入るたびに、必ず咳払いをしてきました。咳払いもちょっとするというのではなく、かなりはっきりと嫌がらせと分かる形で執拗にしていました。トイレに入ると「ンッンン、ンッンン」、家の前を通るとき「ンッンン」、帰宅すると「ンッンン」といった具合でした。 また、ARがいない時は、斜め前の借家に住む1軒屋の老婆が、こちらが家から出ると必ず出てきました。 その隣の家の50くらいの男と30くらいの男が住んでいたのですが、わざわざ何人かで、宅前のベランダに来て話を初め、親父が金を隠しただの話をしていたので、出て行って挨拶をすると、「どこまで聞いてた?」というので、「税金が高いですね」というと、なんだか言って戻っていったのですが、以降、当家前をこの男2人が車で通過するときに、30くらいの男の方が「にいちゃーん」と叫ぶようになりました。また、老婆が出てこない時は、老婆と仲が良い、奥の家の子供が、こちらの出入りがあると「おかーさーん」と叫ぶ用になりました。 100kmくらい距離を置くとどうなったかということが、まず頻度は減りましたが、あいかわらず監視役はいました。 また、自宅前の若い男の家に借金取りが来ていたのですが、この男も、しばらくすると、こちらが家から出るときや、宅前で、咳払いするようになりました。 室内の会話内容のほのめかしはこの時期についてはほとんどありませんでしたが、宅内に侵入されたりしました(後述)。 実家での監視役。 ・F:畑を挟んだ西側の家の住人。20年ほど前に引っ越ししてきました。 親族の話では、以前から、畑のF宅前に来ると、見ているわけでもないのに、窓もしくは雨戸をぱんっと閉めてくるという話でした。 当時から、嫌がらせに参加していたかどうかは不明ですが、宅前に来ると窓を開け閉めしたり、出てくるだけでなく、携帯電話で話をしていると出てきたり、来るたびに窓を開け閉めするのをやめてほしいというと、すだれで窓を遮蔽して、なお継続してきました(レースのカーテンでもつければよいと思うのですがなぜかつけません。)。一時期、F士と行動を一緒にするようになった、Fの隣のYも全く同様のことをし始めましたが、一度文句を言ってからほとんどしなくなりました。 2013年ごろ、嫌がらせの消極化した時期から回数が低下しています。 また、ほのめかしにも協力しているものと思われ、実家に帰郷した直後の2008年ごろ、F士宅前の畑で、農作業中にコンテナの「ちっちゃい方っとって」などと会話していたところ、その日の午後、以前から奇声やほのめかし等を行っているN第一中学の陸上部の生徒が「ちっちゃい方」と叫びながら通過する事案がありました。 話した時間帯は、学生が通行する時間帯ではないため、何らかの手段で情報を伝えた第3者がいるものと思われますが、当時実行可能だったのはF士以外考えにくいです。 同様に、ほのめかし等嫌がらせ要員が通過する前後に、閉まっていた雨戸を開けて出てくるということがよくありました。 ・O江:当家の入り口を見通せる位置にある家。金髪に頭を染めた男がおり、その爆音バイクの仲間が時々来ていました。 また、最近は出なくなりましたが、実家に戻った当初の数年間、裏門にでると咳払いしてきたり、街灯や2階の電気がついたり消えたりしていました。数年前に金髪の男が出て行ってから、なくなりましたが、この男が戻ってくると、決まって電気のオンオフや他の嫌がらせ行為が連動して起こります。 ・大N:実家北側の住宅区画の一軒。実家に戻った直後に、帰宅後、部屋の電源をつけると「おかーさーん」と叫ぶ男の子供のいる家。数回、行われた時点で、遮光カーテンをつけるとやらなくなるが、以降、数年にわたって、裏門付近で作業をしていると、「おーい」「おかーさーん」と叫んでいた。早朝に周囲数軒に何か(新聞?)配っているときがある。裏門内部が見えないように、門扉で遮蔽するとその日に男が出てきて、隣の官舎を1周して裏門付近を調べていたようであった。また、一時期、早朝・20時ー0時にかけて、このO野の人間を頻繁に送迎していた人を出入りしていた中年男の乗ったホンダ・キャパがいましたが、この車が、裏門付近・F士側からの遮蔽を行った日には、当家前でクラクションを鳴らして通行していました。もちろん、通常は鳴らして通行することはありません。加えて、この車は送迎後、下記にあるK藤やHマ宅周辺に向かっていたました。また、金をもらっているのか、送迎後、当家前で封筒に入った金を数えていることがありました。 ・:実家北側の住宅区画の一軒。Mがよく出入りしている家。当家と同じ車両を保有。ルーフキャリアの足部分のみを常時付けているが、使用しているのを見たことがない(当家車両と見分けやすくする為か)。また、下記のK藤宅周辺にこの車を駐車しているのを確認。 ・Y上:深夜、当家畑にゴミを掘り込んでいた男。不思議なことに、掘り込んだ直後に、無言電話が必ずかかってきていました。 他にも宅から数十メートル歩いて、びしょびしょになったマットを、カメラ前で絞ってみたりしていました。 ・安○:実家北側の住宅区画の一軒実家北側の住宅街の一軒。防犯カメラ設置直後に、畑で作業中、N高校陸上部もしくはテニス部が、死角である住宅街奥の安○宅に向かい、「キャーと叫び」出てくるという事案が2回続いたため、対策を講じると以降やらなくなりました。安○宅には、この兄妹の部員が出入りしており、男の方は高校卒業後、空ぶかしはしませんが、爆音エイプで出入りしています。 ○付け回し、尾行役: 住居の変更や、役所・警察・旅行等、連中が知りたい状況やに直前・直後にやたらとやってきていました。 プロを使ってくる場合は、尾行→行先がわかり必要性がなくなると、ほのめかし・アンカリングなどの嫌がらせ 素人を使う場合は、可能な範囲での付きまとい→嫌がらせが中心になります。 例:実家に帰郷してからの2-6か月くらいの期間ですが、近隣の食料品店、ホームセンター等に入って、5分以内くらいに、 おーい、キャーなどと、絶叫する小学生高学年くらいから中学生くらいの子供(男女ともにあり)とそれを連れている夫婦もしくは中年女性が来るようになりました。 それくらい普通にありうると思われるかもしれませんが、店の奥にいても、必ず目の前までやって来て、「居る居る」、叫び声を繰り返す、咳払いする等、 必ず、嫌がらせだとわからせるように行動するところが、単に子供が叫んでいるのとは異なります。 また、車内で聞いていた歌や会話をほのめかすなどします。この嫌がらせは、どこに行っても来るわけでなく、連中の特に集まっている地域付近でなければ来ないようです。 当然ながら、関係のない場所にいきなりいった場合は、ついてきません。 対策として、入店前後にカメラで録画するようになると、来なくなりました(もしくは、別の監視・嫌がらせ網が出来たためかもしれません)。尾行は、手間がかかるため、現在はほとんどありませんが、情報収集が必要な場合や彼らがしばらく嫌がらせができない期間がある場合に、その期間の前後で行われることがあります。 例:S山が離婚を言い出した直後に、証拠撮影の為のビデオカメラを購入するために、近隣の電気屋へ探しに行ったのですが、ビデオカメラを見ていると、異常に体を密着してくる不審な男がいました。離れるとついてこなかったのですが、購入後、大宮駅前に車で移動し、駐車場に車を止めると、真後ろの車両が真後ろに駐車。運転手はすぐにどこかに行きましたが、助手席には、自分が購入したビデオカメラのパンフレットがおいてありました。 ○電話による嫌がらせ:ナンバーディスプレイ、非通知着信拒否になってから激減しました。 ・久K:S県K市におけるs山の無言電話。頻繁に電話し、我々が家にいるか確認していたようですが、一方でこちらが出ても無言ということがありました。S山の隠れ家の留守番電話に無言電話をかけ、私が応答しているものを録音したものありました。 また、O原の親族や仲間が嫌がらせで電話をしてきたていたようです。 ・U和:S山からの電話は調停前のU和での出来事、軽井沢への車でドライブに出かけ、帰りに碓氷峠を通って帰宅。 帰宅後、留守番電話に外国人なまりの中年女性の声で、「お父サン、お父サン、碓氷峠で待っテルヨー、早く来ナイと凍えてしまうヨー」 軽井沢の少し西に小諸市という朝鮮人が多い市がありますが、どうもこういった朝鮮Bが多い地域に行くと、普段いかない場所でも嫌がらせが来ることが多いようです。特に、彼らにとって、軽井沢・小諸市周辺に何かあるのかもしれません。 ・N馬:ネットで佐藤と検索すると、留守番電話に「佐藤でーす」と若い男の声で入っていました。 ・実家:祖父の入院時のいたずら電話数年後、保護司をしていたW親族が、重篤な状態になった為、救急車を呼ぶ。翌朝から、毎朝6:00に、「はやく起きないと、しんでしまうよ」等、嫌がらせ電話が来るようになる。また、声は関東での旅行先等を告げる嫌がらせ電話の声に酷似しており、外国人なまりがある。 家族が他県に出かけると、10kmほど離れた雀荘から毎回、帰ってくるまでの間、無言電話が何回も来るようになる。 ・関東から実家に向かうと、高速に乗ったあたりで、携帯にかかってくる不審な間違い電話。普段から間違い電話など滅多にありませんが、 なぜかかかってきてきます。 ○ごみの投棄 ・タバコの吸い殻:U和市に引っ越してきてから、引っ越しをするたびに、タバコの吸い殻を山盛りに捨てるという行為を数回受けるようになりました。最初のU和市では、2回程ですが、当家前の駐車場で所有車両の運転席のドア直下にタバコの吸い殻 が捨ててありました。同じことがを引っ越すたびに1~2度行われます。次のS並でも、引っ越ししてから1か月もしないうちに、1度だけ、アパート前の駐車場に駐車してあった当家車両の運転席ドアの直下にタバコの吸い殻を山盛りにしてありました 。また、調停後にN馬に引っ越しした時にも、自宅から少し離れた駐車場に停めてあった当家車両の運転席ドア直下にタバコの吸い殻を山盛りにしてありました。また、HK市では当家住居の玄関付近に1度、たばこの吸い殻が盛られていました。。元やくざ系の建設会社A川建設の名前入りの工事に使用したポールがありました。同時期に、防犯カメラを当家門前に設置してしばらくした時期に、門前のカメラ間に横付けして、たばこ吸い殻の山を捲いていった為、追尾すると、一度見失ったのですが、付近を捜索すると、A川建設の横にある空き地(後にA川建設が所有・開発)に駐車してありました。この付近は、爆音空ぶかしエイプが頻繁に出入りしている地域の近くでもあります。当初の目的は、当方の悪評を広めるためであったと思われますが、以降は、同じ行為を行うことで、同じ背景を持つ集団がずっと付け狙っていることを印象付けることにあると思われます。 ・使用済みの生理用ナプキン: 調停前の1999年頃のことですが、S山の愛人O原に会いに言った直後に、庭に使用済みの生理用ナプキンが捨てられていました。ゴミ捨て場からも離れており、道には接していない為、偶然飛ばされてきたとは思えません。当時は知りませんでしたが、使用済み整理ナプキンと言えば、中国・朝鮮人が日本の国旗を侮辱するために使われている表現で、無関係とは思えません。 ・大量に投棄される生活ごみ: 実家に戻って当家所有不動産に1年ほどの間に、生活ごみを中心として、鉢植え、工事で使われたポールの残骸、コアドリルで抜いたコンクリート片等が2トントラックで2杯分捨てられていました。この土地は数十年にわたって所有・管理していきましたが、このような事例は一度もなく、当方が帰郷してから行われるようになりました。犯人は不明ですが、ごみの中には、嫌がらせ構成員の住んでいると思われるHマやK藤等が居住している付近にある水道会社M下のタグがゴミの中に紛れていました 。また、土地のすぐ近くにある個人経営の焼肉屋があり、爆音空ぶかしバイクのエイプに乗った男が出入りしているのを何度か確認しています。ました。ホテルがあり、どうもそこの風呂のものではないかと思われます。 ・当家門前に執拗にごみを捨てる学生の集団 当家住居前は防犯カメラがある為、もっぱら門前にN第一中学やN高校の陸上・テニス・弓道部は直接ごみを敷地内には捨てないのですが、門前でスナック菓子の袋やジュースの缶などを通過するたびに投棄していました。また、近所の人の話では、N高校の生徒が、当家畑のフェンスの隙間にゴミをねじ込んでいる(実際にたまっています。)のを何度も見たそうです。 ・執拗に同じゴミを捨て続ける また、畑の同一の場所に、建材のスタイロフォームの破片、味噌汁の貝殻、オナホール、酒の空き缶、馬券、その他生活ごみが、当初から現在まで継続して捨てられています。おそらくですが、ごみの内容が上記大量ゴミの不法投棄と似ているため、同じ人物によるものと思われます。 写真:ごみすて ○その他嫌がらせ。 歯医者の予約を本人を名乗ってキャンセル U和自宅で、夜間に自宅前公園でチキンレースまがいのことをしていた集団が、当方の車のあるU和の月極駐車場で、ごそごそと当家車いがにも何かしていた為、警察に通報した事案がありました。すると、翌日に、当方の車以外のナンバーをすべて曲げありました。当家車両には、スチール製の枠が取り付けられていた為、曲げれなかったものと判断していましたが、こちらが気にしていないのを見かねたのか、隣の監視役のK原木が、当方宅の車だけ曲げられていないのは、当家がターゲットなのではないかと、わざわざ注進してきました。 |
すぐ反対に明らかに適したところにあるのに立ちしょんをする男。寄っていくと、こちらが何も言う前から、何もしてないと言い出す。