全ての発端であるS山の鬼畜の所業
当方が小学生に上がる前に、S山が勤務先F士工を辞め、S山の妻である母実家に養子に入り、祖父の跡を継ぐと言うこと
で話がまとまり、S山以外が祖父実家に先行して行きました。S山は、現場の途中で抜けがたいので、数年内にS山も向かうということであったのですが、一方で、S山は自らの父K士郎に相談し、条件が悪いので行くべきでないとの返答を得ていたのです。
S山は、その間現場でクレーンに挟まれるなど大事故に合うなどして、変える機会があったにもかかわらず妻子を放置したままで、
有ろうことか、下請け業者の紹介で愛人を持つようになりました。母は、S山が大変であろうと、生活費を一切請求していなかったのですが、
その事から、自らの両親と険悪な状況になりました。逆単身赴任状態にあり、いずれ実家に行くと言いながら、一方でいかないことを決めており、張との関係も10年したら辞めるなどとふざけたことで当方らを騙し、家庭人としても経済的にも何の負担も負わず、反社会勢力と結びつき、当家の人生を無茶苦茶にしたS山等許すことはできません。
主だった時系列
1990年以前:関東のS県K市に引っ越し。
母側祖父母の家業の農業を継承するので、母と子供だけ実家に戻る。S山も仕事の目途がつき次第来る予定であったが、数年しても来ず、愛人O原文子と付き合いだす。この間生活費を渡さなかった。定期的にK市に、母子でS山に会いに行っていた
が、O原の親族による尾行・待ち伏せ等不信行為が時々あった(O原の親族が多数付近に存在していた。)
1990年代前半:無言電話が頻繁にあった。
1994年:当方だけK市に戻る。無言電話が多く、不審な出来事、S山の不自然な行動から身辺調査。
S山の愛人張とY野の隠れ家を発見。
1995年:U市に引っ越し。バイク空ぶかしによる嫌がらせ開始される
1996年:張がキャバレーア○ロから引き抜かれ35で雇われママを始める。
1997年:S山、下請け業者と張が金を出して、ベンツS500(1200万)相当を受け取る。
1998年:張が35をやめ、35Sから少し離れた場所にS山と張が外国人女性を使った店を出す。
S山が張または徐に刺され、入院する。ベンツが徐の親族に乗り回される。
1999年:10月でF士工退社。
2000年:張が入管に捕まったと言いがかりを付け、離婚を要求。調停開始。U和借家の名義がS山で荷物を持ち出されそうになったため急遽、S並に転居。
2001年:6月に調停離婚成立。成立直前に徐の子供を胎児認知しておきながら張と中国で入籍。
関西方面の実家に戻る。無言電話・近隣中学生が農作業中にキャーと叫びながら通る事案が数回あり。
2002年:東京都N馬HW台に転居。駅で同一人物が待ち伏せがある。爆音バイクが夜中来るようになる。
2003年:M上とその仲間による嫌がらせ開始。寝かさないように階下から床を叩き、家族の会話内容を仲間とともにほのめかすようになる。
2005年:都下のHK市に引っ越す。M上の嫌がらせを引き継ぐ形でA見とその仲間が嫌がらせ開始。
2006年:警察沙汰になった為、神奈川県A柄に当方だけ転居。
2007年:実家祖父が倒れたため、実家に戻る。
2008年:近隣住人の一部と、地元N中学・N高校の陸上部を中心とした集団が嫌がらせを開始。やり方は、HW台の嫌がらせを踏襲しており、ほのめかしの内容はそのまま使用しているものがあった。
2013年ごろから、頻度が減少、監視・尾行・盗聴内容に明らかな変化があり。
離婚後10年が経過しており、国籍要件が緩和され以前ほど監視する必要がなくなったか。
また、この頃から、バイクについては、回数が低下する。
しかしながら、要所要所ではストーカー行為は続いており、完全に終わる気配はありません。
○離婚する為に行われたS山とその仲間の工作
離婚を要求してきた2000年前後だったと思われますが、入管法が厳格化され、違反が発覚すると再入国が困難になるようになりました。
以前、張本人が日本に滞在するために偽装結婚していると言っていました。S山は、1999年末に株式会社F士工を退職しましたが、翌年、この会社は倒産し、会社更生法が入りました。
2月に母が入管にタレこんだせいで、張が入管に収容されている、入管の長谷川なる人物に会って、張の無実を証明しろと、S山が要求してきました。むろん、そのような事実はない為、断ったのですが、数日にわたって、家におしかけ、しつこく要求してくるので、警察に相談に行きました。尾行か盗聴によって知ったものだと思われますが、翌日なると、急にS山は、入管のことはもういいので、離婚してほしいと言い出しました。S山は、異常に母をどこかに連れ出したいようでしたので、以降、宅内に入れませんでした。数日すると、入管に収容中だったはずの張も、なぜか家の前に現れ、連日、離婚してほしいと玄関前に陣取り喚き立てました。また、S山が張と中国に行って当面帰れないので、今、応じないと連絡もできなくなる、離婚に応じないと、中国人たちが何をするかわからないので離婚した方が良い言い出しました。何か、2人とも言わされている感が凄くありました。普段、S山は、張のことを「張」と呼んでいるにもかかわらず、この時だけ「張さん」と言ったり、録音及び、シナリオを考えている人間が別にいるような印象でした。また、張は数日後には、中国の上海に帰宅すると言っており、むろん恒久的に飼える訳がないことはわかっていましたが、どうも張に類が及ぶのを極度に恐れているように感じられました。S山は、嘘の塊のような軽薄な男ですが、それにしても非合理的な言動・行動でした。当然ながら、即答はできることではないと断りました。
これまでの経緯から、勝手に離婚届を提出される恐れがあった為、急遽、婚姻関係の不受理届を、役所に提出し、勝手に届を出せないようにしました。すると、S山、張とも、家に来なくなりました。すると、夜中に自宅前で数時間こちらを見ている見知らぬ男が数日に渡っていたり、自宅入り口にベンツを停車し、数時間何をするでもなく、窓を開けて、ずっとこちらを見ているチンピラ風の若い男(長身、朝鮮系の顔)など、不審なことが続きました。1か月ほどすると、S山は、弁護士を雇い、調停を裁判所に申し立てたと通告してきました。
2年前くらいに、張が全額持ってくれるので、中国に旅行に行かないかと、S山が提案してきたことがあったのですが、あからさまに怪しかった為、断りましたが、金を出してもらう理由もないし中国に行きたくないと母が答えたようですが、S山はなぜ行かないのかと執拗に食い下がってきました。行っていたらどうなっていたかと思うとぞっとします。
○調停初日の罠、自宅に誰もいない間に荷物をすべて運び出そうとする。
調停時のU和の借家はS山の名義で借りていました。
調停初日、当初は全員で裁判所に向かうつもりだったのですが、妹が腹痛になり、家で留守番することになったのですが、当方出発後に、大型トラックが、我々が自宅を出た9:00から帰宅する16:00まで、自宅前に横付けしたまま8時間、荷物の出し入れもなくずっと駐車していたそうです。帰ってきたときに車両を見ましたが、ダンボールが入っている以外は空でした。帰宅してすぐにいなくなりました。
当方の荷物を全て運び出すつもりであったものと思われます。
全部、運び出された場合、様々なS山の不貞の証拠等も消失していた可能性がありました。
○調停時のS山とその弁護士Iの不当な要求と当方側の弁護士の裏切り行為
1年ほど協議した結果、調停離婚に応じることになったのですが、母が雇ったK弁護士から調停の手続き上、婚姻事項不受理届の解除が必要と母に要求がありました。役所に問い合わせると調停証書があれば離婚出来るので解除の必要はないと言われました。K弁護士を問い詰めると、S山の弁護士からの要請であり、通常必要な事だと言い張るが、役所から回答を得ているというと、憮然とした態度で、出来るかもしれないと言い出しました。また、誰の意見であるのかと執拗に聞いてきました。
また、K弁護士が、調印当日になって、不受理届解除の為に母の住民票移転先が知りたいので、住民票そのものか、住民票の所在地だけでも、教えてほしい言い出し、S山側弁護士が要求しており、なければ調停証書の作成をすることが出来ないと言い出したのですが、自分が本にも書いてある基本的なことであり得ないというと、異常なまでに「自分は弁護士なので従ってほしい」と食い下がってきました。なかなか来ない我々を呼びに来た調停委員が訝しみ、「そんなものなくても作成できるので、早く行きましょう」と言ったが、それでもK弁護士は執拗に要求を繰り返し、母が、それ以上言うなら、離婚には応じないというと、K弁護士は引き下がったのですが、その後も、何とかならないかと、調停室に入っても執拗に食い下がってきました。
調停証書には、強制力があるので、婚姻事項不受理届が出されていても、役所に提出すれば離婚は成立します。実は、何らかの工作が行われるのではないかと警戒していたため、直前に転居届を提出して、転居先に提出しないようにしていました。住所がないと、住民票や実印証明、健康保険等の発行ができなくなります。住民票は、パスポート発行や借金などに必要ですし、実印証明も同様です。懸念として、離婚自体は、調停証書作成時に成立しますが、戸籍や住民票への変更は、調停証書の発行・戸籍への反映など、4週間以上必要である為、その間に母や家族の名義を勝手に使用して、借金・保証人・パスポート等の不正取得、養子縁組等を行って、住所不明のまま行方をくらます等がありました。実際何をするつもりだったかは不明のままですが、
何らかの工作を行おうとしていたのは、明らかであると思われます。調停委員が、最後に「ずいぶん弁護士さんを信用されているんですね(自分なら信用しない)」と暗に弁護士に嫌味を言っていました。調停員は、当初、母に対してぞんざいな扱いで、S山側弁護士とも昔からの知り合いであったことから、S山側の方を持っており、当方に対してぞんざいだったのですが、最後に慰謝料が取られないように気を付けて持って帰ってくださいと、気を使ってくれていました。
S山は、平成11年11月にF士工を退職していますが、翌年2月の離婚を言い出す直前に、S山も含めて家族全員の住民票を母実家に移したいと言ってきました。理由がないので、断ったのですが、普通、離婚する直前に住民票を移す理由は何でしょうか。他にも、S山はなぜか調停成立前に住民票をすでに引き払っている、U市自宅に戻しています。
○調停後のS山の不審な戸籍変更行為
後年、判明したことですが、調停申し立てと同時に、S山は、住民票を中国(住所不定としている)に移動しています。しかしながら、調停には毎月来ており、S山側弁護士I葉の話では、ウィークリーマンションで生活をしているとの話でした。また、母が退去後、S山弁護士に退去した旨を内容証明を送り、住所不明と言い張るS山の連絡先としてS山側弁護士の連絡先を提示してあったにも関わらず、S山は、家賃を支払うでも、解約するでもなく放置していました。しかも、居住も支払もしていないにもかかわらず、調停終了(約1年半後です)の直前に再度、U和のこの借家に住所を戻してありました。もともと必要性があり、あえて放置していたのではないかと思われます。これは、上記の母の住所地を異常に聞き出そうとしていた点と関係があるものと思われます。
また、調停成立前後、合わせて離婚調停成立1週間前に韓国籍の徐の子供を胎児認知しています。出産はその1か月後となっていました。6月に誕生ということは、全年8月頃に妊娠したということであり、調停中でしかも、張と中国にいるとなっていたはずです。また、調停終了に合わせたように、胎児認知をし、終了1週間後に誕生など、あまりにタイミングが合わせたようになっていることも虚構があるのではないか疑念を禁じえません。しかも、一度、堕胎もさせているのにどうなっているのでしょうか。一方で、徐とは籍を入れておらず、離婚調停成立後1か月後、中国で中国籍の張と中国で結婚しています。不思議なことに、S山は、U和駅周辺にワンルームマンションを借り、徐はO宮駅周辺(妹の名義を使用して外国人女性を住まわせていたマンションの目と鼻の先でした。在日朝鮮人の街です。)に居住しています。
こうした複雑な手順は、何かS山達、O宮の朝鮮Bの集団の商売にとって必要な工作であったのではないかと思います。
彼女らは、胎児認知により、胎児認知した子供の世話為に、徐は日本での在留資格を取得でき、一方で張はS山との婚姻により、日本が在留資格により留まることができます。こうした手法を駆使して、不法に入国したあと、より確実かつ安全な滞在できる方法に乗り換えながら、日本に入り込んできているのではないでしょうか。
○相談先を探していってみると、加害者組織の作った相談先に誘導されるというのは本当だった。
集団ストーカー系サイトを見ていると、被害者が相談先を探すと、加害者側サイドの相談先に誘導されてしまうという話がありますが、当方もそれに近い事案に遭遇しました。
S山から弁護士入れてきたことから、弁護士を探さねばなりませんでした。そこで、たまたまTVでやっていた番組で国会議員の○より子主催?のハ○ドイ○ハ○ドという、女性の離婚を支援する会を知りまして、そこの相談会に参加しました。会は、内容自体は普通だったのですが、何か自分たち以外は桜のような感じだったとのことでした。当時国会議員○より子に相談したところ、会に出席して金○弁護士の紹介を受けたので、後日事務所に相談に行ったのですが、あくびをしながら眠そうに出てきたうえ、そんな性格だから離婚されるんだとか、さんざん罵倒したうえで、さっさと離婚しろと言われました。どうにもおかしいので調べてみると、朝鮮に入れ込んでいる議員と弁護士だったようです。当方が朝鮮人ともめているのを相談されてあったかもしれませんが、離婚問題を相談をまともに聞く気はあるようには思えませんでした。朝鮮人の宣伝工作団体ではないかと思います。
会に出る前の話ですが、母がこの会のパンフレットをもらいに行っていた時のことですが、別の若い20代の男が、後から来てパンフレット持って行ったそうです。女性向けの会ですが、男性が持って行ってもおかしいと言うことはありませんが、この時期は、頻繁に尾行されていましたので、会に出る前に尾行の可能性も十分ありました。
○当方の行動に呼応する母の同郷のS学会の友人
K杉(旧姓:は○し):母の高校時代からの友人で、県外に進学するまでは、嫌がらせ集団の一部が居住しているD地域に住んでいました。神社に行くと頭痛がするので入れないと言うほど、熱心なS学会員でした。以降は、関東のC県に居住し、国政選挙時に投票して欲しいと電話が掛かってくるだけであったのですが、調停時に引っ越してからは、連絡先を教えていませんでした。母が実家にいない期間は、実家の祖父母に選挙にK党に入れてほしいと電話で連絡が来ていたのですが、不思議なことに、母を含めて我々が帰省している時期には、選挙があっても電話が来なくなりました。当方が帰郷しているか否かは教えていませんし、知る限りでは間接的に知り得る接点はありませんので、何らかの情報入手の手段があるのでしょう。S山とK杉に接点はないはずですが、母の居場所を探っていたのではないかと思われます。完全に帰郷している現在では、何年にも渡って全く連絡が来ていません。
○当方からS山の為に避けるかのようなO原文子とその親族の不可解な行動
S山の古い愛人。S山が現場で怪我をしたときに、その世話の為に業者があてがったとの話があるが、H田の国立療養所に勤務しており、当初、准看護師であったが、S山の援助で看護学校に通い、正看護師になっています。久K市自宅100mほどのところに実家があり(引っ越しして内偵するまで不明でした。)、当時のO原自身は、数KM離れた市営マンションに住んでいました。O原家の実家は、親族宅に間借りする形で借りているという話で、兄弟が10人以上おり、生活保護をもらっているという話でした。兄弟は中学を出ると家を出され、働いて、家に金を入れていたらしいとのことでした。83年頃から付き合い始め、85年ごろにO原の存在が母に露見しました。発覚後、自宅が荒らされたり、夜中に来て、火をつけてやる、だましやがって等、罵詈雑言浴びせるなどしていました。S山とその両親との話し合いの結果、O原と別れた言っていました。
実家側に行っていた自分と妹が久K市自宅に戻った年に、不思議なことに当方が久K市に戻ると同時に、O原が、H田市の病院を退職し、遠く離れたI県Tマリに引っ越し、同県の北Uの病院に転職しています。同時期に、久K市内にマンションを購入しており、わざわざ他県の病院に転職する理由はないように思えます。母も以前より自宅に戻るようになった為、O原と鉢合わせになり、そこからS山の私生活などが暴露されることを恐れ、O原を遠ざけたものと思われます。O原の勤務先も知っていた上に、実家が久K自宅の100M以内にあったのですから。
S山が、マンション購入費用を一部か全部負担する代わりに、久K市を離れたものと思われます。O原がここまでするのは、O原親族の経営する建築会社がS山の下請け入っており、裏金作りに協力していた為と思われます。
張の話では、S山はO原と別れておらず、現在も時々電話が来ているとのことでした。そこで、U和にいる時に調査し、母と直接会いに行きました。O原は北U病院からかなり離れたTマリにありましたが、居留守を使い出て来ませんでしたので、2時間ほど待っていると、O原親族がワゴンで久K市から迎えてきて、親族と思われる男に付き添われて、大急ぎで逃げて行きました。1週間後に再度、訪れたのですが、片言の東南アジア系、外国人女性に入れ替わりっており、O原は以前いたが、今はいないと言い、詳細はわからないと言ってました。また、北U病院もO原はいないの1点張りでした。よほど、やましい点があるということと、外国人はS山が用意したものと思われました。このTマリ周辺は、外国人関係や事件でたまに見聞きする地名ですが、なぜここを選んだのか非常に不可解です。また、S山の父親が逃亡中、潜伏していたのも、ここから西に行ったつくば市であった場所で、S山がつ○ば万博でパビリオンの建設に関わっており、S山何か人脈や地縁があるものと思われます。
○S山の父親K士郎の偽装自殺と10年に渡る逃亡
S山の父親は、戦前の樺太の営林局に勤めており、母親は樺太で行われいた網元の娘で、終戦時、命からがら北海道に戻り、その後、S山が生まれ、幼少期のS山は、夕張市の炭鉱街で育ったそうです。夕張でのK士郎は、公務員として福祉関係の役職、おそらく生活保護等も担当していたと思われるます。K士郎の性格を表すエピソードとして、S山と津軽の連絡船待ちをしている時に、他の人がずっと待っている中で、役所で緊急の案件があると嘘を言って、順番を変えさせたことがあったとのことです。このように、嘘をつくことを厭わず、自分の立場を悪用して利益を得ることに躊躇がなく、狡猾で口の回る男であったようです。S山はK士郎に性格的に最も似ており、実質K士郎の跡継ぎとして期待されて育った。しかしながら、敵も多く、敵対する市長が変わった時に使い込みがばれ、警察に追われることになったそうです。K士朗は、道内の自殺の名所海岸に自分の背広と靴・遺書を残して自殺を偽装、数百万を持って、以降、茨城県土浦近辺に潜伏していたとのことです。祖父が行った調査では、夕張炭鉱の福祉助成金、厚生関係のような金を2000万円着服、愛人に使った、ヤクザに騙された、個人的事業に投資して失敗した、ギャンブルに使い込んだとの話が出ていました。また、個人的に結婚相談所をしていたとの話も出ています。おそらく、逃亡に手を貸したものがいるものと思われます。横領した金は、S山家の所有不動産と親族が金を出し合って充当することで残された家族が支払ったようですが、S山は当時、国士舘大学に通学しており、処理を手伝わなかったことが他の兄弟に対して負い目となっていたようで、しばらく金を父親に送っていたようです。K士郎は、土浦に潜伏していたが、時折、S山のもとに電話をしてきており、当時、川崎にいたS山のもとに警察が聞き込みにも来ていたそうです。K士郎はその後、時効が成立し
てからも何年か関東に潜伏していたようで、10年ほどで北海道に戻りました。その後、K士郎が失踪している間に、S山の兄で、軽度の知的障害のある長男が結婚していて、S山の母親と同居していたのですが、K士郎はそのことについて勝手なことをしてと激怒していたそうです。K士郎が戻ってしばらくして、長男宅が焼失。原因は、同じく軽度知的障害があった長男の嫁による失火とされたそうです。K士郎は、S山の母親は反対したそうですが、これを原因に長男の嫁を離縁させ、火災保険で実家を立て直し、K士郎は、S山の母親と長男と同居することとなりました。S山の母親は、心労がたったのか、心臓に病を抱え、10年ほどして他界しました。K士郎は、しばらくして1年ほどして、K梅という、当方の母とあまり年齢の変わらない女性と早々に再婚しました。S山は、K士郎と長男の面倒を見てくれるので良いと考えていたようです。久K市にいるときに、S山が当方に対して「おばあさん(K梅)から電話来ているから話をしろよ」と言ってきたことが1度だけありましたが、K梅は、ぶっきら
ぼうにあいさつしただけで2度と掛けてきませんでした。K士郎と結婚して数年は経っていたことから言っても不自然に思えるので、今から考えると、当方の声色確認をするための物であったと思われます。理由は不明ですが、K梅に当方を警戒する理由があったか、不審な電話でもあったのではないかと考えていますが、こういったことは、張の時も、徐の時もあり、S山は一体何をそこまで警戒しているのかという疑念と道義的疑念を当方に生じさせる原因となっています。その後、K士郎は、2010年代後半に死亡していますが、死亡する直前に道内の中年の男女2名を認知していました。
K士郎は、失踪から期間後、S山に当方実家に養子になることに反対する旨の手紙をS山に送っていました。長男宅の火事・離婚についてもK士郎にとってあまりに都合がよい事件です。こうしたK士郎のモラルの低さ、虚言癖、自己中心的な性格は、家族の中で最もK士郎の薫陶を受けたS山に、輪をかける形で受け継がれています。
○S山の勤務先であるF士工での悪行
S山は、都内のS駅近くにある中堅ゼネコンF士工に就職。母と結婚後、関東圏の現場を受け持っていました。業者と癒着し、裏金を作っており、上司に賄賂を渡すことで、有望な現場を多く担当し、通常あり得た転勤を回避していました。同僚からは、
S山だけおかしいと非難されていました。
S山は、表向きは、この会社の現場所長としての慣例として、当初計画に予定されていない見積もり外の施工、事故等での出費に対応するため、余った予算等をプールしておいて、次の工事や、所長間で融通し合う為のものであったのですが、S山は、それだけでなく、業者と組んで、水増しした建設費用をちょろまかしていました。こういった形で、退職・中国人愛人張とスナック経営を決意したと思われる98年ごろ、張と業者に下請け業者と、張に半額ずつ金を出させて、ベンツのs500(約1200万相当)を購入しています。自宅に支払の督促状がオリックスから送られて来た為、判明したのですが、業者から分割で60万ずつ1年にわたって振り込まれていましたが、最後の2回位の段階で、期日通りに業者が振り込んでいなかったようで、S山が自分の目の前で業者に電話して催促していました。
また、O原が購入したマンションを購入した時期の現場でも、そういったことがあったように聞いています。
S山はよく行方不明になるようで、当方の受験当日にも、新座現場で火事があり、連絡がつかないので、直属の上司からすぐに来るように自宅に連絡があったのですが、S山は隠れ家も連絡先も家族に教えず、知っているのは、会社・下請けの一部のみという状態でしたので、当然連絡がつくはずもなく、翌日の10時くらいになってやっと連絡がつきました。危うく首になるところだったと言っていましたが、愛人と隠れ家に隠遁し、ずっとベルが鳴ってると笑っていたと張から後で聞きました。この件はS山の隠れ家の特定調査の契機となりました。
S山は、私情で部下を僻地に飛ばしたりもしていたようです。家族が現場に問い合わせた時に、隠れ家(会社の人間にはには宿舎と呼ばせていた)の方に行っていると思うと、暴露した部下の男性が、1週間もしないうちに配置転換したと言っていました。一現場所長に過ぎないS山がこうしたことができたのかは、上司に賄賂を送っていたこともありますが、S県支部から一度も30年近く異動がないのは、社内ではS山ぐらいでしたので、明らかにおかしいです。どうもS山は社内で反社会勢力の対応係であったか、関係を利用していたのではないかと思われる節があります。
○S山が業者に家賃を負担させていた隠れ家での異常な行動・薬物依存
S山は、仕事中にクレーンに挟まる事故に会ったことがあり、九死に一生を得ました。数年して、仕事中にパニック障害を起こし、心療内科に通い、薬物療法を受けるようになりました。この心療内科で、自分のしたいことは何でもやるようにと言われていたようです。この頃、准看護師であったO原と知り合い、不倫するようになりました。S山は、それまで、心療内科からもらっていた薬を、O原を通じて自由に入手できるようになったそうで、薬にかなり依存していたものと思われます。
S山は、中国人愛人の張と付き合い始めてから、10年以上止めていたタバコを吸いはじめ、80kg以上あった体重が、60kg程度まで急激に痩せました。また、心療内科で薬がもらう必要がなくなったといい初め、目が窪んで落ち着きがなくなり、形相が著しく変化し出しました。た。また、もともと嘘の多い男であったのですが、この頃から徐々に、短絡的なすぐばれる様な嘘しか言わなくなり、何事にも軽率な行動をとるようになりました。張がS山と付き合う前に、薬物の売人と付き合っていたことがあると話をしていたことから、当家では、何らかの薬物に手を出しているのではないかと心配していました。
また、下請けと癒着し、業者にS県副都心近くのY駅周辺にマンションを用意させ、女性を連れ込んで、自宅にはまず帰らず、業者のSキ鉄工所と愛人以外にはマンションの場所を教えていなかったようです。Sキから、何度も電話がかかってきていました。また、留守番電話に当方に無言電話をかけ、それを録音したものがありました。どうも、当方の声を録音して、愛人その他仲間に確認させていたようです。また、張を連れて、朝鮮系と思われる焼肉店に頻繁に通っていました。S山の隠れ家を訪ねてみたことがあったのですが、内部は、ベットと、衣類、冷蔵庫、簡単な食器、女性の衣類・下着があるのみであったのですが、キムヒョンヒの自伝本、毛沢東の自伝本がありました。特に異常な点として、部屋の中は、防虫剤の臭いが充満しており、異常に臭っていました。また、押入れの1つが何故か、木ネジとハンガー掛けで固定され、開閉できなくされており、隙間から見ると、内部は空であったのですが、天井裏に何かあったのかもしれません。鞄には、S山名義の通帳が数冊あり、数千万単位で預金がありました。余談になりますが、S山と鉢合わせになり、木刀を振り回すS山に追いかけられました。何か余程まずいものがあったのではないかとおもわれますが、後日、S山は非常に慌てており、隠れ家で何を見たのかと執拗に詰問してきました。
S山は直後にマンションを引き払っています。S山は、家族会議で、S山の母親が生きていれば違った話になったかもしれませんが、父親のK士郎はごみクズであり、他の兄弟も、K士郎の問題で、異常な用心深さから、愛人問題とは別に後ろ暗いことがあることを感じさせました。
○S山、張と外国人を使ったスナックを経営。こんなに儲かるとは思はなかった(S山談)
O原との関係を維持しつつ、O宮駅東口にかつてあったア○ロという、キャバレーに出入りするようになりました。当時のア○ロは、外国人女性を中心としたキャバクラのようなものだったと思われますが、店前には常にバンが1台止まっており、用心棒なのか見張りなのか不明ですが、ガタイの良い男が常に2名詰めていました。怪しいサービスもあったと聞いていますが、ア○ロは、S山のサラリーマンの収入で頻繁に出入りできるような店ではありませんでした。S山は、現場所長の立場を利用して業者に出させていると言っていました。S山は、ここで、張と知り合ったようです。別の朝鮮人女性のア〇ロの同僚からS山を紹介してもらい、以降、S山の隠れ家に行ったき、U和駅東口にあった張の居住するマンションまで送迎してたりしていました。しばらくして、当方等が知り得るところとなったのですが、これにより、張は安心したのか、S山とより関係を深めていきました。張の話では、
・自分は上海出身で、偽装結婚して入国している。
・U和駅近くのアパートで、親戚の女性と部屋をシェアしている。
・勤務先のア〇ロでは売春しているものもいるが、自分はしていない。
・S山の前には薬物の売人と付き合っていた。S山と折原とはずっと関係を継続しており、月に1~2回電話が来る。
・徐という朝鮮人の女が別にいる。
・張は、自分はいずれ中国に帰るので、S山はいずれ家族のもとにもどる
張は、S山が徐など別の女性に会いに行って、いないのではないかと、よく母に居場所を確認しに電話をしに来たり、徐にベンツが取られたときや、刺された時も、夜中に電話が来て、母に相談していました。中国人がどういうものかは、わかってはいましたが、見事に裏切りられました。
○中国人愛人張が押し込み強盗に会い新聞に載る
この当時、中国人が日本にいる中国人をターゲットにした、押し込み強盗が多発していたのですが、S山と張は、不倫同棲をU駅で前地でしていましたS山の愛人張が中国人の押し込み強盗に会い、数百万を奪われたと、S山から連絡がありました。中国人か韓国人、数名が侵入し、張を縛って、首を絞めて脅し、キャッシュカードのナンバーを聞き出し、預金350万と現金50万、その他が持ち去られたそうです。S山は、警察を呼んだが、S山がベンツに乗ったり、派手な生活をしているので、S山が実行したのではないかと疑われていたそうです。警察・会社から問い合わせが来たら、母の実家が裕福なので金を出してもらった、母と張は仲良くしている、と口裏を合わせて欲しいと言われました。もし来たら洗いざらい言ってやろうと言っていましたが、会社・警察からの連絡はありませんでした。張が偽装結婚しているので、S山との関係を問われることを恐れていたようでした。この事件は、当時の新聞に名前付きで載りました。張は、徐の関係者が情報を流してやらせたに違いないと言っていました。S山は、張と同棲を初め、セキュリティ付のY野の○ランデユオに再度引っ越しました。張から連絡先を聞いていたのですが、しばらくすると、張は、当方に背格好が似た男につけられていると言い始め、今後、話はできないと言い、電話番号を変更して、離婚調停直前まで連絡を絶ってきました。無言電話や尾行は当方にもありましたので、事実であれば、張も何者かに見張られていたということなのかもしれません。以降、引っ越し先は、セキュリティゲートのあるマンション付ばかり選んでいるようです。なお、犯人が捕まったという話は聞いていません。
○S山が刺される
・1回目:
H8、10月29日 久K市の留守番電話に午前2時頃張より電話。
S山が大変な事になったと張から電話があり、S山が韓国人(徐)に刺されて、血塗れで帰宅した。出血が酷い。S山が韓国人ホステスと半年間同棲しわかれ話のもつれで、韓国人に足を刺されて出血がひどいので連絡して欲しい。別れるなら金を出せといっている。張はS山が家に帰る現場に行くと言いながら、韓国人のところに言っていて、裏切りがひどいので別れたいので3人で会いたい、協力して欲しいといっていました。S山は、自分のBMWを韓国人に預けており、毎月125000円渡していたしていたといっていた。11月上旬、母が、張に電話すると、もう仲直りしたので、あの話はないことにして欲しいと言われた。台所をシステムキッチンに直したり、色々としてやったらしい。一時間位話をして長くなったので、仕事に差し障るので後日(11月)に久K市に行くからと電話を切った。S山の傷は確認しなかったが、しばらくしたら治ったとのこと。
S山が張と店をする時期に前後して、建設現場で車がへこんだり、フロントガラスがめちゃめちゃに壊された事がありました。また、S山が12月、韓国人徐が堕胎すると交渉したらしい。kが病院まで付き添ったそうである(徐の為ではなく、虚実か疑ったものと思われます)。
・2回目:H8年12月21日 kが足の付け根が刺されて、U和市K久保病院に1週間入院する。午前中、S山より電話あ、午前3~4時頃、車から降りた時、偶然走ってきた車に積んであった物が突き刺さって足の付け根を負傷したとのことでしたが、一週間位、入院するように病院で言われました。病院に問い合わせをしところ、交通事故の怪我ではないとの事だした。刺し傷があと1cm刺さっていると、医者に命にかかわっていわれたと言っていたそうです。その後、張に電話すると、自分が刺したと言っていました。張は腹が立つと構わず刃物を出してS山のスーツを切り刻むなど、かなりもめていたらしいです。翌日母が病院に保険証をもって行き、病院で母が聞いた限りでは、筋肉が切れており、交通事故による物ではないそうです。2日目より入院先から現場に行っていました。会社にばれるのを防ぐためと思われます。この時、S山が自宅に寄ったのですが、憔悴しており、思ったより酷いように見えました。
翌H9.2月頃、韓国人徐が堕胎したと張から連絡がありました。なぜか、徐を連れてS山の父K士郎の見舞いに北海道行ったそうです。
5月頃、S山のマーク2、ういつのまにか以前借りていた駐車場の持ち主の所にあったらしいです。当方等が疑われました。S山は青くなっていました。
8月、張の住むマンションで待ち伏せしており、徐にベンツが捕られたそうです。ベンツはしばらく徐の男に乗り回され、金を払って取り戻したらしいです。S山のマンションで待ち伏せしていました。
どうも、S山は愛人O原のころから、碌な人間と付き合っておらず、今でいうところのハングレ集団などの反社会勢力との付き合いの方が性に合っていたようです。これは炭鉱街で育ったことと不可分ではないと思います。いずれにしろ、ずっと、こういうことをし続けており、絶えず、尾行等(会社、警察、敵対するハングレ)を気にしていたようでした。これは刺された例ですが、車やS山自身がボコボコにされたりもしていたようです。しかし、実利的な中国人の張と違い、徐の手口は現在、当方が受けている集団ストーカーの手法に通じる部分が多分に見受けられます。S山は、父K士郎にわざわざ徐を引き合わせており、S山にとって、真に隠したかったのは、より深い関係にあったのは徐ではないのかと考えています。
○S山とその仲間による蛇頭まがいのビジネス。
・S山が退職を決めたころ、張は35を辞め、大通りをはさんで、100m程のところにある2階に店を出しました。S山も金モールの付いた衣装を着て、送迎や店に出ていました。
・しばらくして、O宮の不動産会社から、S山が借りて(保証人はS山の弟)いるマンションに複数の外国人が夜中まで騒いでおり、ごみも好き勝手に捨てると苦情が来ました。勝手に妹の名義を使い、妹がが住んでいることになっていました。住人は、アジア系の女性3名で、17:00から出勤。S山と張のスナックのある通りの別のマンションに寄って、S山のスナックに出勤していたようです。
このことをS山に告げ、二度としないと念書をかけと言ったのですが、書こうとしませんでした。それどころか、翌日にはマンションを引き払い、外国人女性をよそに移動したようでした。朝鮮人愛人の徐も、この周辺を転々としていました。
・張の中国人のいとこが入国するので会って、年が近いので世話をしないかと言って来たことがありました。張という日本での足場ができると、それをツテにしてゾロゾロやってくるつもりであったようです。断ると、偽装結婚に協力すれば、70万になり良いアルバイトになるので、S山が世話をするのでやらないかとも言っていました。感触的に、S山は浮かれており、そういった集団とつながりを持って、何かを始めるつもりであったと感じられました。当然ながら、断りました。S山はなんでだと食い下がってきました。
・旧あ○ひ銀行から、融資に審査に関して預かった、S山免許証を郵送してきました。普通、免許証を預けて、持薬郵送するものなのでしょうか。あ○ひ銀行といえば、いろいろありましたが・・・。
S山は、数年ごとに住所を変えるなど不自然な点が見受けられます。また、S山の住所地はワンルームマンションで、S山は居住していません。S山は、外国人を日本に滞在させる為に、他県に建築会社を設立し、その会社を使って外国人の入国を補助していた疑いがあります。
○措置入院されそうになった事件と嫌がらせを指揮している幹部の男
詳細は監視役のところで書いてありますが、HK市にいた時、S学会員のA見、江Zなどが、毎日、家を出入りする度に窓をパンッと閉めたり、宅前のO久保やM上が、見に出てきたり、街灯をつける、HSの子供が、自宅にはたびたび侵入し、「おきろー」「うぁー」「キャー」などの奇声や室内での会話内容をほのめかしを行うなどの、集団でのストーカー行為を受けていた時のことです。この時点で、2年に渡り嫌がらせを受けており、近日中に引っ越し先を探す予定でいたました。
あまりにしつこい為、HSの子供が1回注意したのですが、3人のうち、首謀者は誰かと問い詰めると、首謀者でない少し離れた自宅をで親に注意してもらったのですが、実際の首謀者はHSの子供で、仲間2人の裏切りで、自分のせいにされたことから1名が離脱したのですが、
三日後には、HSの子供と残りの1名で嫌がらせ再開していました
。1週間後に、もう一度注意するために追いかけてのですが、当方とHS子供がぶつかってしまい、HS子供が、軽傷を負いました。
そこに、A見の男が出てきて、それまで1度も出てきたことがない、オカモトという男が、A見の連絡で、高級そうなロードバイクで、その妻と言う女性とやってきました。オカモトは一言で言って、堅気の人間ではないと思われます。年齢は50代くらいでしょうか、細身でがっしりしており、175CMくらい、短髪の男でしたが、雰囲気が普通に働いている人間とは異なりました。また、その妻は、チョゴリを着たら、朝鮮人そのものといった顔立ちでした。オカモトがHSやA見に支持して警察と救急車が呼ばれました。オカモトは、HK駅から少し離れたパチンコ屋の横に住んでいるとのことでした。
病院には、妹に付き添って、傷の具合を確認してもらいました。
HSは、警察に対して、当方が頭がおかしいので、措置入院させろとのっけから要求してきました。
HSの子供だけでなく、様々な嫌がらせについても、2年に渡って、一切文句をつけたこともなく、一方的に嫌がらせに耐えていたのですが、ほんの1週間前に一度だけ注意しだけです。
当初警察は、当方を措置入院させてはどうかと母に行っていたのですが、母が嫌がらせの実情を説明した結果、精神病歴もなく、傷も軽傷すぎる(ちょっと転んだレベルでした、妹の話では、HSの子供の傷があまりにも軽傷であったため、救急隊員もこの程度で呼んだことに苛立っていたとのことでした。)、近日中に引っ越す予定であった事から難色を示し始め、あまりに措置入院に拘るHS夫婦(この時は夫・HS子供も来ていました)に、子供もぐずって帰りたがっているのに、執拗に措置入院に固執するHS夫婦に疑念を呈し始め、警察としては、強制的に措置入院はできないということになりました。HS夫婦は、どこかに電話(オカモトと思われます)し始め、被害届を出すかどうかという点に関しても、措置入院にできないのであれば、示談でよいと言い始めました。結局は、示談となり、治療費・慰謝料として3万円を支払いました。一方で、当方が出ていくのであれば、引っ越さなくてよいと引き留めにかかり始めました。
この件に関しては、当方の不徳の為すところでありますが、オカモトのような、暴力団かそれに近い筋の元締め的存在は、集団ストーカー行為に関与していても表に出てくることはありませんでした。しかし、突発的に、集団ストーカーの目的である対象の社会性の破壊という点において、終着点の一つである措置入院に追い込めそうであった為、止めをさせそうで有った為、表に出てきたものと思われます。